「意識」は からだの外で

何をしているのか

 

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この時に見えた映像は、健常時に目を閉じた瞬間に見える「残像」とは全く異なるものです。目をきつく閉じたままでしたし、「残像」ならば静止画像になるはずです。

 私の動きに応じて線画が動いたり、まして腕が現れるなんてことは、「残像」では起こりません

 

▼このような、ぞっとするほど鮮明なサーモンピンクの線画ビジョン。

私の体の動きに合わせて線画も動く。

黒い部分は完全な黒ではなく、まぶたを閉じているときに見える、あのいつもの色

「光」の情報は、この場合の危機回避に不要だったためか省略された。

 蛍光灯と、それが反射している窓ガラスは強く光っていたはずだが、ビジョンには全く反映されなかった

「光」が省略された一方で、シャンプーのラベルのふちなどは、なぜかご丁寧に映出された。

 光と影がいっさい無く、しかし妙に詳細な、まるで製図機で描いた図面のようなカッチリとしたビジョン。線は全てサーモンピンク

▼「残像」なら下のようになる。我が家の浴室はタイルが白、目地が灰色なので、残像だと蛍光灯の光を受けたタイル部分が見える。光を反射しない目地は負けてしまって見えないか、せいぜいこんなふうに、上の線画の逆になる(視力回復後に何度も実験済み)

 残像では、あらゆるものの「輪郭」が線画状になることがない。

 当然シャンプーのラベルのふちなんか見えない。

 湯船のフタも、消毒薬などの一式も光を反射せず、周囲に同化してしまい、全く見えない

 さて、このサーモンピンクの線画ビジョンですが、「遠森の思い込みだろう」という懐疑には、全く反論しません。

 先述の通り、「信じてもらわなきゃ!」という積極性が、もう、スコーンと無くなっちゃったので、なんというか・・・えーと・・・ごめんなさい。

 いや、謝る場面じゃないのかな・・・まあ、気楽に続けますね(笑)

 

 この体験からしばらく経ち、眼科医と世間話をする程度に親しくなった私は、医師に「こんな不思議な体験をしたが、似たような体験を聞いたことはないか」と尋ねました。

 医師は、「全く同じかどうかは分からないが、視神経が完全壊死した全盲の人が『あっ、今見えた気がする』と言うことがある」と教えてくれました。

 

 それらは、意識サーチではない可能性・・・たとえば経験則で記憶したデータを、緊急時に脳が結集して見せてくれたもの、ということも考えねばならないでしょう。

 

 しかし、私の風呂場での体験は、探し物をしたわけですから経験則ではなく、そうなると医師が言う全盲の人の「あっ今見えた気がする」も、私の場合と同じように、緊急時における共感覚的サーチの最大出力なのかも・・・と思えてきます。

 そう思って調べていると、こんな例を見つけました。

 

目を使わず書物を読んだラマ僧

「共感覚という神秘的な世界」(和田美樹訳/エクスナレッジ)では、著者のモリーン・シーバーグ氏が、共感覚と精神世界の関係性を探るために、ニューヨークのチベットハウス(チベット文化の保護や普及に努める組織)に取材しています。

 シーバーグ氏は、チベットハウス設立者のロバート・サーマン博士から、共感覚について次のような見解を聞きます。

 

《共感覚は「超感覚」、つまり、他の感覚を超えて開かれた感覚の一種だと考えているという。ある感覚、あるいは一度に複数の感覚に関わる--これは、仏教では「識」として知られている。(略)共感覚体験で活動しているのはこの「識」だというのが、サーマン博士の学術的観測だ》

 

 チベット仏教では、人間の感覚を「五蘊」に分類しています。

 

五蘊のひとつ「色」は、目を使って視界を見ること、「受」は耳で音を聞くこと、「想」は鼻で匂いを嗅ぐこと、「行」は舌や身体で味と触覚を感じることです。

 

そして五番目の「識」は、他の四つを制覇する感覚--四つを司る感覚器官どれかひとつ、または複数を選び、その器官に代わって仕事できるとされています。

 

 この「識」が、共感覚体験のときに作動する感覚であり、さらに「識」は死後も存在するとされます。宗教的概念ではありますが、これまで私が述べてきた共感覚と霊的な現象の関係性と同じ捉え方です。

 

 そしてサーマン博士はシーバーグ氏に、目を使わずにものを見ていた僧のことを話しています。18世紀のラマ・ジャンギャ・ロルウェイ・ドルジェイというラマ僧で、目が不自由でありながら、書物を読んだそうです。点字ではなくインクで書かれた書物です

 もちろん18世紀の人物ですから、確認することはできず、私も昔ならば半信半疑だったと思います。

 が、精神修行を積んだわけでもない私でさえ、失明中の風呂場の体験がありますから、「識」を高めた高僧ならそのくらいはできただろうと今は思えます。